≪ 缘 ≫(原文)
人我同懷掌上紋,
一呼一吸共晨昏。青山借我千年骨,
流水牽渠萬籟魂星斗有心燈宇宙,
塵埃無力測乾坤。若將寸寸微軀返,
便與洪荒共一根。
≪ 縁 ≫(現代語訳)
あなたも私も、同じようにこの掌の紋を抱き、
ひとつの呼吸、ひとつの時間(とき)を共にしている。青々とした山は、私にこの体を貸してくれ、
流れる水は、生命の魂を乗せて運んでいく。星々は、意志を持って宇宙を照らすけれど、
ちっぽけな私には、世界のすべては測れない。けれど、もしこの身を自然に還すなら、
その時こそ、万物の源とひとつになれるだろう。
解説
この詩は、「縁(えにし)」というテーマを通じて、私という存在が、他者、自然、そして宇宙全体と分かちがたく繋がっているという壮大な世界観を詠んだものです。ミクロな視点からマクロな視点へと展開していく構成が見事です。
一句ずつ、その情景と意味を見ていきましょう。
この詩の全体像
この詩は、「私」という個人の存在がいかに大きな流れの中に在るかを、段階的に描き出しています。
- 対人関係 (1-2句)
まず、すぐ隣にいる「あなた」との繋がりから始まります。
- 自然との一体感 (3-4句)
次に、視点は雄大な自然へと移り、自分の身体や魂が自然の一部であることを感じます。
- 宇宙との対比 (5-6句)
さらに、視点は宇宙へと広がり、その無限の広大さの中で、人間がいかに小さな存在であるかを悟ります。
- 根源への回帰 (7-8句)
最後に、その小さな個人という「個」を解き放った時、万物の始まり(根源)と一つになるという、究極の結論に至ります。
各句の詳しい解説
第一句・第二句:人と人との繋がり
《原文》
人我同懷掌上紋,一呼一吸共晨昏。《書き下し文》
人我(じんが)同じく掌上(しょうじょう)の紋(もん)を懐(いだ)き、 一呼一吸(いっこいっきゅう)に晨昏(しんこん)を共にす。
【分かりやすい意味】
あなたも私も、手のひらには同じように(それぞれ固有の)手相を持っている。 そして、息を吸い、息を吐くたびに、同じ朝と夕暮れを共有して生きている。
【解説】
最も身近な「縁」である、人間同士の繋がりを詠んでいます。手のひらの紋様(手相)は一人ひとり違いますが、「手相を持つ」という点は万人に共通しています。これは、私たちはそれぞれ違う個人でありながら、同じ「人間」という共通の宿命を分かち合っていることを象徴しています。 そして、同じ時間(朝と夕暮れ)の中で、同じように呼吸をして生きている。これ以上ないほど根源的で、親密な繋がりの表現です。
第三句・第四句:自然との繋がり
《原文》
青山借我千年骨,流水牽渠萬籟魂。《書き下し文》
青山(せいざん)は我に千年の骨を借らしめ、 流水(りゅうすい)は渠(かれ)が万籁(ばんらい)の魂を牽(ひ)く。
【分かりやすい意味】
青々とした山々は、私にこの千年変わらぬような(頑丈な)骨格を貸してくれている。 流れる川の水は、その流れにあらゆる自然の音(風の音、木の葉のざわめきなど)の魂を乗せて運んでいく。
【解説】
視点が人間社会から雄大な自然へと移ります。「私の骨は、悠久の時を生きる山々から借りたものだ」という表現は、人間の肉体が地球(自然)から生まれた物質でできているという事実を詩的に表現したものです。 また、「万籁(ばんらい)」とは森羅万象の様々な音のこと。その魂が川の流れに乗って運ばれていく、という表現は、自分の精神や魂もまた、絶えず移り変わる大きな自然の循環の一部であることを示唆しています。
第五句・第六句:宇宙との対比と自覚
《原文》
星斗有心燈宇宙,塵埃無力測乾坤。《書き下し文》
星斗(せいと)は心ありて宇宙を燈(とも)し、 塵埃(じんあい)は力なきにより乾坤(けんこん)を測る能(あた)わず。
【分かりやすい意味】
天の星々は、まるで意志を持っているかのように、この広大な宇宙を煌々と照らしている。 それに比べて、私という存在は(宇宙から見れば)塵(ちり)のようなもので、この天地宇宙のすべてを推し量ることなど到底できない。
【解説】
視点は一気に宇宙規模にまで広がります。「星斗(せいと)」は星々、「乾坤(けんこん)」は天と地、つまり宇宙全体を意味します。 壮大で、まるで意志を持つかのように秩序立って運行する宇宙。その前では、一人の人間など、取るに足らない小さな「塵埃(ちりあくた)」に過ぎないという謙虚な認識です。人間の知恵や力には限界がある、という悟りでもあります。
第七句・第八句:根源への回帰
《原文》
若將寸寸微軀返,便與洪荒共一根。《書き下し文》
若(も)し寸々(すんずん)の微躯(びく)を返すとすれば、 便(すなわ)ち洪荒(こうこう)と共に一根(いっこん)とならん。
【分かりやすい意味】
もし、このちっぽけな体を、もとあった場所(自然)へと返すならば、 その時こそ、私は万物が生まれる前の原初の状態と、一つの根を共有する存在となるだろう。
【解説】
これが詩の結論です。「微躯(びく)」は第六句の「塵埃」を受けた言葉で、ちっぽけな自分の身体のこと。それを「返す」というのは、死んで自然に還ることを意味します。 「洪荒(こうこう)」とは、天地がまだ分かれていない、混沌とした宇宙の始まりの状態を指す言葉です。 個人という小さな枠組み(=自我)が消滅した時、人間は死んで無になるのではなく、むしろ森羅万象を生み出した大いなる根源と一体化するのだ、という東洋的な死生観、宇宙観が示されています。これこそが、究極の「縁」の姿であると詠っているのです。
まとめ
この詩は、「私」という小さな点から始まり、他者、自然、宇宙へと繋がりを広げていき、最後には万物の根源へと還っていく壮大な旅を描いています。
「自分は一人で生きているのではなく、あらゆるものとの縁(えにし)の中で生かされている存在なのだ」